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開会セレモニーから4時間後。ステージの周りにはパーティションで区切られたピットエリアが全部で20個作られていた。それぞれに5台ずつの《バーサス》端末が置かれ、待機モードに入っている。
20チームのピットスペースはそれぞれ独立して作られている。地区大会のようにピットスペースを模したつくりにはなっておらず、簡素な印象を抱かせる。
しかし一方で《バーサス》システムは、2チームずつ10のレースを同時進行させるため大型のものが持ち込まれ、多数のケーブルがパーティションから伸び、複雑な模様を人工芝の上に描いていた。
《すーぱーあゆみんミニ四チーム》は指定されたピットエリアに入り、5人それぞれのマシンをメンテナンスしていた。スタートまでにはまだ1時間以上あるが、経過とともに緊張感は高まっていく。

「すみませーん」

不意に、パーティションを叩く音が聞こえた。大会スタッフの巡回だろうか。

「はーい」

あゆみはエアロサンダーショットを机に置き、蝶番で扉のようになっている部分を開けた。

「こんにちは」

開けた先に立っていたのは、大会スタッフではなく、一人の少女だった。その真っ白な肌は、やはり真っ白なユニフォームよりもさらに白く透き通って見え、あゆみは、まぶしさに思わず目を細めた。

「あ……こんにちは……その……どちら様ですか?」
「ごめんなさい、驚かせてしまって。私、ホッカイドー地区代表、チーム《フライング・フレイヤ》のリーダー、羽根木美香です。ご挨拶にと」
「あっ……!」

長く伸びた髪と、さわやかなほほ笑み。昨年、チームを全国5位に導いた美香のビジュアルは、あゆみが想像していたものから余りにかけ離れていた。

「あなたたちが、カナガワ地区代表チーム《すーぱーあゆみんミニ四チーム》ね」
「はい、キャプテンの、涼川あゆみです」
「そう……あの《エンプレス》を破ったチームと一番最初にあたるなんて、ツいてるというか、ツいてないというか」
「え?」

思わせぶりな物言いに、あゆみはたじろぐ。

「約束してたのよ、赤井さんと。来年、この舞台でもう一度走ろうって」
「それは……その……」
「いいのよ、秀美を超える力があなたたちにあるのなら、私もそれを見てみたいから。お忙しいとこ、ごめんなさいね。じゃあ、後で」
「あ、羽根木さん!」

呼び止める声には振り向かず、美香は自チームのピットに向かって行ってしまった。

「あんにゃろー、余裕こいてるなー!」

あゆみの肩に手をのせて、たくみが美香の背中に視線を飛ばす。

「あれが……全国大会経験者か」
「あゆみちゃん、あんまり気にするとよくないわよ」
「平常心」
「うん、ありがと」

たくみとルナにうながされて、あゆみはピットの扉を閉めた。

予選第一ラウンドの舞台は、ベルギーの名門コース、《スパ・フランコルシャン》に設定された。
山間部につくられた全長七キロに迫るロングコースは、上りの区間と下りの区間で異なった特徴を持っている。スタートの鋭角なヘアピン《ラ・ソース》を抜けた先にそびえる高速コーナー《オー・ルージュ》は、上りながらのコーナリングとなるため高い安定性とトルクが求められる。そこから続く《ケメル・ストレート》は、コース上での最高速を記録する勝負どころ。ストレートエンドのシケインがオーバーテイクポイントとなる。
このシケインから下り区間に入ると、大小様々なコーナーが待ち受けており、最速のラインをトレースできるコーナリング性能、強力なGに耐える剛性が求められる。そして下りきったところがコントロールライン。
またこのコースは天気が非常に変わりやすい事でも知られる。《バーサス》内でも当然その特徴は引き継がれているため、ペース配分やピットインのタイミングによっては大きな番狂わせが起こる可能性も高い。正にクルマとチームの総合力が問われるコースである。

くじ引きの結果、インサイドとなる奇数グリッドを引いたのは《すーぱーあゆみんミニ四チーム》。アウトサイドは《フライング・フレイヤ》となった。

「さて、それじゃあ、みんな準備いい?」
奏が声をかける。5人それぞれの手元に、全国大会仕様の《バーサス》端末が並べられている。スピードチェッカーに似た筐体に変わりはないが、プレーヤーが装着するバイザーには、いくつか追加のアンテナがつけられ、より攻撃的な印象を抱かせる。
あゆみはバイザーを装着する。目の前には立体的なロゴが踊り、システム起動の操作を待っていた。

「いいね? じゃあ行くよ!
バーチャル・サーキット・ストリーマー、《バーサス》、起動!」

一連のシークエンスが済むと、あたりは深い森の中、スパ・フランコルシャンのピットエリアへと変わった。
すでにダミーグリッドには両チーム10台のマシンが並んでいる。

「あれが、《フライング・フレイヤ》の……」
ロングノーズにショートデッキ。ヨーロッパのGTカーのスタイルは、サーキットの風景とよく馴染んでいた。
「ジルボルフね。チーム全員で車種を統一するのは、有力チームなら当然の選択か」
奏がクールを装って言う。
「でも、2番グリッドの…美香さんのボンネットだけ他とちょっと違うわよ?」
ルナが指さす。
「あれは……オオカミ……。ジルボルフ、銀の狼だからか」
「それは、違いますよ」
「誰だっ!」

たまお、たくみの背後に、白い人影が立ち上がる。《バーサス》が、通信中との表示とともに、ノイズ混じりの映像を映し出していた。

「羽根木さん!」
「また驚かせてごめんなさいね。赤井さんとは、こうやってレース前に通信し合ってたから」

これから戦うとは思えない、おだやかな美香の笑顔に、あゆみは眉をひそめる。やはり、初参加である自分たちの力は、《エンプレス》との比較でしか認識されていない。決勝に出場できたとは言え、まだ超えたわけではないと、あゆみは痛感した。

「あのボンネットに描かれているのは、オオカミの姿をした神獣、フェンリルよ」
「フェンリル?」

たくみが頭のてっぺんから声を出す。

「北欧神話に登場するフェンリルは、ラグナロクにおいて最高神オーディンをその口で飲み込んだと伝えられている」
「だ、だからなんだってんだ!」
「その時は」

不意に、美香の目に鋭い光が走る。《バーサス》越しに伝わるほどの気迫。緊張がピットを支配した。

「……じっとしている方がいいわ。それじゃ、お互い全力で頑張りましょう」

差し出された美香の手を握り返そうとするが、あゆみの手はすり抜けてしまう。《バーサス》はあくまでミニ四駆の走行性能を実際のサーキットでシミュレーションするためのもので、その他の機能は補助でしかない。プレーヤー同士の通信も同様である。
スタートが近いことを告げるホーンがなると、美香の姿はノイズの中に消えた。

「あいつ……」

あゆみが握ったこぶしの中には、じっとりとイヤな汗が満ちていた。