SECTOR-1:HIDEMI-1

最後のアタックをかけてきた涼川さんたち、そんな小細工が通用すると、思っているの?

「サンダーショットのペースが上がっている?」

ミニ四駆選手権カナガワ地区大会決勝、残りは一時間を切っている。コース上、十何台かマシンは残っているが、優勝争いは事実上、私たち《スクーデリア・ミッレ・ミリア》と、涼川さんたちの《すーぱーあゆみんミニ四チーム》に絞られた。交換用バッテリーの残りは十分にあるし、タイム差は5分、2周以上の距離をキープできている。もしペースをあげたとしても、残り時間を考えれば逆転されることは……まず、ない。ありえない。

「セクター2の通過タイム、全体ベスト更新されました」
「最高速も更新、プラス10キロです」
「そんなバカな!」

私は手元のモニターを切り替えた。トリコロールの車体、さっきのピットでリヤウイングのフラップを取り払ったようだ。確かに空気抵抗が少なくなって最高速は伸びる。だがその分、タイヤに負担がかかる。ここまで走ってきて、表面の劣化や形の歪みなど相当のダメージがあるはず。そこまでして一時的にペースを上げて、どうするつもりなのか?

「サンダーショットがコントロールライン通過、セクター3も全体ベスト」
「アスチュートは?」
「いまヘアピンを通過して、スプーンに向かってます」

全体ベストを更新したとはいえ、一周にすれば1秒にも満たないはず。この走りが最後まで続いたとしても、差は1分と詰まらないはず。それならばわざわざトラブルを招くようなことをするはずがない。
ピットの外から、観客のざわめきが聞こえてくる。言葉にならない、低くくぐもった音の群れがうずをまいている。

最後の逆転を期待しているのだろう。ここまで七時間走って、私たちは順調にレースをコントロールしている。ペナルティ覚悟で飛び出していったナイトレージは案の定自滅してくれたし、エアロサンダーショットとトップフォースEvo.は接触で後退。フレイムアスチュートだけは、いうなればレースらしいレースをせずにここまで来ている。観ている側からすると、こんなにもつまらないことはない。
レースの醍醐味が、絡み合う戦略とコース上でのバトルにあることは私自身もわかっている。だけど私たちはエンターテインメントとしてレースをやってるんじゃない。とにかく勝つこと、勝ち続けること、それを最小の手数で、最短の時間で、そして最も安全な方法で手にいれなければならない。それが、《エンプレス》と呼ばれる者の務めだと思うから……。
メインのモニターは、もはや《すーぱーあゆみんミニ四チーム》しか映していない。テキストの情報で、2台のタイム差が表示されている。

「これは……。」

コースに3ヶ所もうけられたチェックポイントを通過するたびに1秒近く差を詰められている。単純に考えて、1周で3秒。どん、と胸の真ん中を撃ち抜かれたような衝撃が走った。

「アスチュートはどこ!」
「130Rを通過」
「くっ……!」

エアロサンダーショットはスプーンカーブの立ち上がり。距離でいくとバックストレート1本。タイム差は5分を切っている。ペースが上がってから10秒近づかれたことになる。だけど見た目の距離の差とタイム差はリンクしていない。エアロサンダーショットは「2周遅れ」なのだ。その事を考えないといけない。
ピットの前、メインストレートを走っていくフレイムアスチュート。そして、エアロサンダーショット。明らかに差は縮まっている。

「振りきれないの?」
「残りのバッテリーを考えると、ペースを上げたらゴールまで持ちません」
「でもサンダーショットはあんなペースで走ってるわ!」
「ですが赤井センパイ……」
「キャプテンと呼びなさい!」
「はい……」
「計算して。今の差をキープできる方法を」
「……わかりました」

チームの後輩たちが慌てているのはわかる。そして計算したところで解もないことも。正解は今のペースを保って最後まで走りきることだ。
頭を振って、まとわりつく気持ちを払おうとしてもかなわず、モニターを見上げる。S字から逆バンクを走るアスチュート。その背後に白い影が迫っている。いよいよ2台は同じ画面に映るまでになってきた。
私はピット内に立っていららず、ピットウォールに走った。

「キャプテン?」
「代わって」
「いえ、《バーサス》への指示は直接キャプテンからは行わないとミーティングで」
「いまは緊急事態よ。ミーティングの内容はいったん忘れて」
「は……」

席について、マシンのデータをチェックする。ここまでの時間、とにかく丁寧に戦略を組み立ててきた自信はある。タイヤ、モーター、シャーシ……ダメージの兆候はまったくない。むしろこうした緊急事態へのそなえとしてマシンをいたわってきた。今目の前にある状況を見過ごすわけにはいかない。

「アスチュート、ブロックラインで後続を抑えて。コーナーでは特に」
「Copy.」

ほら、やればできるじゃない。臆病になっているチームのメンバーを心のなかで叱咤して、私はモニターを見つめる。サンダーショットの方が速いのはわかっている。勝負をかけてきたのだろう。だからこそ、ここをしのぎきれば大丈夫だ。スプーンカーブからバックストレート。

「キャプテン、エアロサンダーショットがすぐ後ろまで」
「わかってる! 私もモニターぐらい見ている!」
「了解」

高速コーナーである130Rではやや距離があいた。まだ間隔はあるが、最速のラインをアスチュートがふさいだので、サンダーショットはほんの少しスピードを緩めて通過していく。しかしシケインで一気に差が縮まる。2台のマシンはいよいよもつれるようにして最終コーナーに姿を見せた。

「キャプテン! ここは!」
「絶対に前に出すな!」
「Once More(もう一度お願いします)」

私の指示に、《バーサス》が聞いたことのない答えを返してきた。
ストレート。フレイムアスチュートはレコードラインであるアウト側にマシンを寄せたが、エアロサンダーショットはきゅうくつなイン側を猛然と進み、並んだ。

「Once More」

ここで前に出られたところで、2周のリードが僅かに削られるだけ。私たちの、《スクーデリア》のレースをしていれば勝てる。そんなことはわかっている。
でも、涼川さんも、奏も、私も、レースが好きだ。レースで勝つことが叶えたい夢だ。
そう信じた。

「インに切れ込んで絶対に前に出すな!」
「Negative」

冷たい《バーサス》の声。同時に、フレイムアスチュートの何かが壊れた。リヤタイヤか、ホイールか、シャフトか。それともステーか、ローラーか。何が壊れたかはどうでもいい。
コントロールを失い、4つのタイヤすべてから白い煙をあげながら、フレイムアスチュートはエアロサンダーショットのサイドに激突した。

「アスチュート!」

エアロサンダーショットはコース上に残ったが、アスチュートは第一コーナーアウト側のサンドトラップ上に弾き飛ばされた。外れた右のリヤタイヤがマシンを追い越してタイヤバリアにまで跳んでゆき、左側もシャフトごとマシンから脱落した。
耳障りな警告音がそこらじゅうから響き、モニターは赤い文字の警告メッセージで埋め尽くされた。赤いチームウェアが、さらに赤く照らされ、血のような濃い赤色に変わっていた。