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残り5周、純子の《アビリスタ》と、《デクロス・ワン》2台の差は3秒を切っていた。3台でひとつながりの列車のように、《サーキット・イル・ノートルダム》を駆け抜けていく。
それぞれのマシンにダメージが蓄積しているが、ピットインして追いつくだけの時間は残されていない。1位を守り切れば《V.A.R》の勝ち、《アビリスタ》の前に出れば《すーぱーあゆみんミニ四チーム》の勝ち。
それはたまおも、たくみも、そして純子も十分に理解していた。
急減速と急加速を繰り返すコースで順位が変わる可能性がある場所は限られ、ストレートエンドの強烈なブレーキング地点のみ。つまり、あゆみとルナをリタイヤに追い込んだ最終シケインが勝負どころとなる。

「たまお、どうしよう? もうチャンス、あんまないよ」
「わかってる」

純子の《アビリスタ》はコース中央を走行し、後ろからくる2台のマシンをけん制しながらもスピードを落とさない走りを続けている。トータルのラップタイムは決して速いわけではないが、《デクロス・ワン》2台は前に出られない。

「中途半端」

たまおが、小さくつぶやいた。

「そうだ! 《ハッピーストライプ》の《ジャンヌ》は、あんなに輝いてるのに、どうして、新町さんは、こんなにモヤッとしたレースをするんだよ!」

たくみが、口元のインカムに向けて叫ぶ。
相手に聞こえることを期待しているわけではない。だが《バーサス》上でかわされる通信は、基本的にどこからでも、誰でも聞くことができる。

『よく、わかってるね、あなたたち』

たまおとたくみの耳に、ノイズ混じりの声が聞こえる。

「この声……《ジャンヌ》?」
「まさか」
『どっちも大事だから、どっちも捨てられない。どっちかに身を寄せたら、どっちかは消えてしまう。そんなのがずっと続いてる。それでも、それでも今は、こうやって走って、勝ちを拾いにいくしか、いい方法がないんだ』
「だったら」
「だったらさ」

たまおとたくみの声が重なる。ガンメタルのボディに刻まれた白いラインに、ほのかな光が走り始めた。

「突き抜けさせて、もらいます!」

光は、より強く、激しく《バーサス》内の空間を照らした。

「Z-TEC(ズィーテック)、スタンバイ!」
《Copy. Z-TEC Activates》

二人の声に呼応して、二台の《デクロス・ワン》のボディカラーがライトスモークに変化していく。MAシャーシが透けて見える一方で、白いラインは変わらずに光続けている。

「あいつら、やったな!」
「たまおちゃん、たくみちゃん……!」

先を越された悔しさもなく、チームメイトの文字通り進化した姿に、あゆみとルナは身を乗り出した。

……重なりし 二つの想い 織りあげて
たおやかなるは 天女の舞!
いま、すべてを解き放て!

クロス・システム・センセーション!!

残り3周となったヘアピンコーナー。立ち上がりでわずかに加速が鈍った《アビリスタ》を、《デクロス・ワン》2台が挟むように追い上げる。じりじりと差は詰まり、ロングストレートの半ばで3台が横一線に並んだ。

『くっ……じゃあ、どうすれば、どうすればいいのよ!』

純子の悲痛な叫びが聞こえてくる。

「簡単だよ」

たくみが言った。隣のたまおにアイコンタクトする。伝えたいことは、既に伝わっているという実感が、二人にはあった。

「これまでとか、これからとか、無関係」
「あっちとか、こっちとか。そんなのどっちだっていい」

《デクロス・ワン》2台に挟まれた《アビリスタ》のボディも、つられるように光を放ち始める。
4番手集団から抜け出せない奏のモニターにも、その様子は映し出されていた。

「Z-TECの連鎖反応? そんなことがあるというの?」

一旦は遅れたように見えた《アビリスタ》が再度加速する。

『大事なのは、今を、目の前のことを、全力で楽しむってことか』
「知ってたんですね」
「じゃあ、やっちゃいましょう!」

3台並んでブレーキングの態勢に入る。白煙に包まれながら、たくみのマシンが先頭を奪い、コントロールラインを通過する。あと2周。

『《アビリスタ》! お前の可能性を見せてくれ!』

再びヘアピンから、ロングストレート。たまおの《デクロス・ワン》は後方に下がり、たくみと純子の一騎打ちとなる。お互いに譲らない最終シケイン。再び白煙が舞い上がる中、《アビリスタ》が先頭を奪い返し、ファイナルラップに突入する。
綱渡りのように、迫りくるシケインを通過していく3台は、最後のロングストレートに入る。
不意に、《バーサス》内にエレキギターの音が大ボリュームで響きだした。
純子の手元には、愛用のギターが握られている。もちろん、《バーサス》内にミニ四駆以外のものを持ち込めるわけがない。しかし、《アビリスタ》を激励する純子の意志が、《バーサス》を通じて、エアギターならぬ《バーチャル・ギター》を出現させてしまったのだ。

『《アビリスタ》、フルスロットル!』
「負けるな、《デクロス》!」

再び、純子とたくみの真っ向勝負。インサイドを取ったのはたくみ。一歩も譲ることなく、2台は最終シケインへのブレーキング態勢に入った。先に減速した方が負けとなる。その事をわかっている純子とたくみは、減速の指示を遅らせる。相手が遅らせるならば、自分も遅らせる他ない。そして、待ち構えた限界が訪れる。

「《デクロス》、フルブレーキ!」

たくみの叫びがサーキットに響く。

《negative.》
「えぇっ!」

非情な拒絶メッセージと同時に、たくみの《デクロス・ワン》はグリップ力を失う。それは隣の《アビリスタ》も同様だった。2台はワイヤーで結ばれているかのように同じ軌道を描き、シケインを抜けながらもなおコントロールを取り戻せずにいた。

「お先に」

ガラ空きになったシケインのインサイドを、たまおの《デクロス・ワン》が通り過ぎていく。Z-TECによって拡張した能力を過信せず、しかし最後までチャンスを狙いつづけた結果だった。
クラッシュをまぬがれたものの、コンクリートウォールの手前で止まってしまった2台を追い抜いて、あふれる光の中にブルーの影を映し出しながら《デクロス・ワン》が先頭でコントロールラインを通過した。

「やったー!」
「たまおちゃん!」

あゆみとルナが、ピットウォールに走り出す。先輩ふたりに抱きすくめられて、たまおは僅かに口元を緩めた。
たまおから20秒以上遅れた2位で奏がフィニッシュ。《アビリスタ》2号車・3号車を終盤に振り切ったものの、トップを追いかける余力は残っていなかった。
チェッカーフラッグを受けられなかったものの、レース総距離の95パーセントを走り切ったということで、たくみと純子も「完走」扱いとなった。

『おめでとう。うん……おめでとう、だな。少しだけだけど、あたしもこの先、どうしていこうか、見えた気がする』
「こちらこそ、お話しできてうれしかったです」
「役得」

最後まで戦った相手をたたえるたまおとたくみ、そしてチームの勝利を喜ぶあゆみ、奏から離れて、ルナはモニターに映った純子の姿を見つめていた。ギターを手にして躍動する少女。打ちひしがれるチームメイトの肩に手を当て、ねぎらいの言葉をかける横顔。既視感のあるビジュアルに、閉じ込めていた思いがうずき始める。
ギターケースと、わずかな荷物を詰めたキャリーバッグを手にした姿が、ドアの向こうの世界へ消えていく。あれからどれくらいの時間がたったのか。故郷からお互いに遠く離れてしまったけど、何をしているのかも定かではない。

「姉さん……」

胸に当てたルナ手の中には、ダメージを追ったフェスタジョーヌが握られている。

《すーぱーあゆみんミニ四チーム》は予選ラウンド、一勝一敗。勝ち星では二位タイだが同じ一勝一敗となった《V.A.R.》との直接対決の結果で単独二位にランクされている。決勝進出できるか否かは、最終戦に持ち越されることとなった。