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元日。とは言え外界からの情報に触れなければ、単にまた新たな一日が始まったに過ぎない。めくる紙が無くなったカレンダーを見て、あゆみはそう思った。

トゥインクル学園学生寮に残っている生徒はほとんどおらず、かすかな物音ですら廊下に大きく響く。あゆみはベッドの上で、スウェットの上下を着替えようともせず天井を眺めていた。

奏は、祖父である光一郎からのコールに根負けしてオオサカへ。たまおとたくみもカナガワ内の実家へ戻った。ルナは志乃ぶに誘われ、川崎邸に泊まって年越しをすると告げ、弾むような足取りで寮から出て行った。

「あたしも、行っとけばよかったかな」

ひとりごちて、枕に顔を押し付ける。

でも、今はパパに会いたくない、いや、会えない、と心で言った。

グランプリ復帰初シーズンを期待はずれの成績で終えたヤムラは、ヨーロッパに構えた前線基地でパワーユニットが抱える問題の洗い出し、さらにはマケラレーンチームとのコミュニケーションを円滑にすべく連日、泊まり込みの開発作業を進めていた。パワーユニットの開発を統括している涼川みのるは、当然のことながら日本に帰ることもかなわず、現地で年を越すことになった。あゆみの母親はみのるを心配し、クリスマスの日にヨーロッパへ渡った。あゆみも同行を打診されたが、《ミニ四駆選手権》の準備を理由にして断ってしまった。

……サーキットのスタッフも、ワシらも最善は尽くしたが、瀬名は「いのち」を失ってしまった……

光一郎の言葉が思い出される。父親がプロジェクトリーダーを務めて作り出されたハイパーカー《ライキリ》。その性能は人間が操れる限界を超え、結果としてテストドライバーの「いのち」を奪った。

「それが……瀬名さんのお父さん……」

あゆみは頭を掻きむしった。レーシングカーのエンジニアとして目標としていた父親が、かつて、人の命にかかわる事故を起こし、それにも関わらずその仕事を続けているということ。その意味するところ、重みにあゆみは苦しんでいた。

そして、その場に自分と、アイリーンがいたという事実。記憶から抜け落ちたのか、受けた衝撃をかき消そうとしたからなのか、とにかく、事故の記憶はまったくない。
《ミニ四駆選手権》が始まってから、アイリーンとは二度顔を合わせた。その二度とも、何か言いたそうな、だが言えない、といった雰囲気だったことを、あゆみは思い出す。おそらく、アイリーンは一連の出来事を知っているのだろう。自分の父親の「いのち」を奪った、忌まわしい計画を仕切っていた男の娘が目の前にいるという事を、確かに認識しているのだろう。

あゆみはベッドの上で足をバタバタと上下させる。

「だからって言ったって!」

いま自分にできることが、何かあるわけでもない。思考はそこでずっとループしている。その先に、何か明確な答えがある訳ではないということはわかっている。だからと言って自分は関係ないと知らんぷりをすることもできなかった。

窓から差し込んでくる日差しは仄かに暖かく、カーテンの隙間から部屋に入り込む。ほこりっぽい部屋の中に、光の帯が描かれる。その先にある時計の時針はすでに上向きの角度を取り始めていた。

「ちょっと、外の空気すってこよう」

あゆみは、格闘技の受け身よろしく両手をベッドにたたきつけ、その反動で身体を起こした。部屋の中のほこりが一層舞い散って渦のような模様を描いた。