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「あれっ、涼川さん」

聞き覚えのある、ハスキーな声に呼び止められた。

初詣にも行く気にならず、かといって新年を祝うイベントに参加する気にもならず、フラフラと歩いていたあゆみは、「ホビーショップ《インジャン・ジョー》」の店頭にいた。ショーケースに飾られたフィギュアを見ていた時、その声は聞こえた。

「エンプレス!」

見上げた先に、浅黒い肌の笑顔があった。

「もう、その呼び方はやめてよ」
「いやあ、あたしにとっては赤井さんっていうよりは、やっぱりエンプレスですよ」
「うーん、まあいいわ」

浮かべた柔和な表情は、サーキットでは見たことがない。少女は《エリア最強チューナー》と呼ばれ、あゆみの前に立ちはだかり、「ミニ四駆部」の設立の時、そして《ミニ四駆選手権》の地区予選、それぞれで高い壁となった。女帝(エンプレス)の二つ名をもつ少女、赤井秀美。

「それにしても、元日からここにくるとは、やっぱり涼川さんも研究熱心ね」
「いえいえ、別に何というか、やることもなくて、でも閉じこもっててもなんだかもったいないって思ったら、ここに来ちゃいました」
「へえ、やっぱり」

秀美は店内に向けて一歩進んでから振り返った。

「私も一緒よ」
「エンプレス……」

二人は店内を物色し、店長がすすめてくる福袋は買わずに、店頭に残っていた限定品を買い足した。ミニ四駆のキットやパーツに囲まれて、秀美と話している間は、余計なことを考えないでいいと、あゆみは思った。そのままの流れで、二人は近くのファストフード店に腰を落ち着けた。

「まずは、決勝進出、おめでとう」
「ありがとうございます」
「ネットで見てたけど、ヒヤヒヤだったね……まあ、どのレースも見ていて正直、安心できなかったわ」
「それは……すみません」
「でも、レースは結果がすべてだからね。勝ったチームが強くて、勝てなかったチームは何かが足りなかった。私たちも……《スクーデリア・ミッレミリア》も、そうだったから」
「あ……」

秀美の瞳に、僅かではあるが影が差す。あゆみは、かける言葉を失った。店内に響く有線放送の音楽が、思考の邪魔をしてくる。まとわりつくものを振り払おうと、テーブルに置かれた飲料のストローをくわえた。

「涼川さん、気にしないで。もう終わったことだから。何もかも、決着がついた。私にとって思い残すことは何もない」
「何もない……って」
「三年生だしね。部活は引退したし、卒業も近いわ。もうミニ四駆の事だけ考えているわけにはいかないってこと」

卒業、という言葉を聞いて、あゆみは手にした紙コップを落としそうになった。今までまったく意識していなかった単語に、あゆみの思考はますます乱れる。

「卒業……そうですよね……」
「去年のジャパンカップ、それと《ミニ四駆選手権》。それが、私にとっての集大成で、ゴールだった。結果はもちろん、二つとも、納得できるものじゃなかったけど」
「それじゃあ、まだ」
「でも、もうジュニアクラスでは戦えない。オープンクラス。そう、オープンっていう場所でやってかないといけなくなるのよ」
「オープン……そっか、もう、大人と一緒ってことですね」
「実感はないけどね。でも、周りからはそう見られるっていうこと」
「なんか……あたしにはまだ、想像もできないです」

あゆみは目を伏せた。知らずに漏れた溜息の音は、秀美の耳にも届いていた。

「悩んでるみたいね」
「えっ……、いや、別に、あたしは、そんな」

跳び起きるように顔を上げ、顔の前で両手をぶんぶんと振る。秀美が、口元に手を置きながら笑った。

「涼川さんって、本当におもしろいわね」
「はぁ」
「大丈夫よ、あなたは十分に強いわ」
「それって、どういう意味ですか」
「そのままの意味よ。涼川さんは戦える。何も心配はいらないわ」