3

《バーサス》内の時計は、ログインした場所の現地時間に合わせて設定される。日本時間の午後五時。テストコースとして開放されているカタロニア・サーキットの夕日は大きく傾いていた。
ヘッドライトを灯して、一台のGTカーがいく。ロングノーズに描かれたオオカミのイラストレーションが、コーナリングのたびに光を跳ね返し、夕闇の中に姿を現す。全開アタックではなく、感触を確かめるような走り、しかし他のマシンではとても追いつけないペースで周回を重ねていく。
ふと、背後から強い光が浴びせられる。

「ん……来たわね、コペンRMZ」

羽根木美香は《バーサス》を操作して、バックモニターをズーム表示させる。メタリックブルーの車体が、車体を大きく揺らしながらテールに食らいついていている。ジルボルフのバッテリーは残り少ない。美香はペースアップを指示して振り切ろうとするが、コペンが離れる気配はない。だがブレーキングの深さ、加速の鋭さではジルボルフが上回っており、コーナーを抜けるたびに差は広がっていった。
最終のシケイン。どっしりと減速するジルボルフに追突するかのような勢いでコペンが突っ込んでくる。

「あぶなっ!?」

間一髪、ジルボルフはアウト側に避ける。コペンは白煙を上げてコントロールを失い、シケインを直進してコース外で止まった。

「すっごいなぁ……」

ジルボルフはピットロードに入り、走行を終了させる。コペンもスピンターンで向きを変えてピットに入った。
美香の視界に、通信の要求を示すメッセージが表示される。美香は回線を開いた。

「もしもし? 相談事があるって割には、ずいぶんと大胆なご挨拶ですね」
「すみません。こないだからちょっと、行き詰まってて」
「だからって、自分を抜いた相手に相談するって、変わった人ね。早乙女たまおさん」
「いえ……こういうのが、アタイのやり方なんで」
「ふうん」

二人の言葉が止まる。日が落ちたコースに響く排気音は、日中よりも遠くまで届くようだった。

「羽根木さん、アタイたちをまとめて抜いていった技、そのための戦略、どうやったらできるんですか」
「これは、またストレートな」
「すみません」
「まあいいわ。秀美を下して決勝まで上がってきたんだから、それなりの礼儀を払わないとね」
「はい」
「まず技の話。ZTEC(ズィーテック)ね。あれは前のクルマと一秒以内の差になった時に解放される、《バーサス》の裏ワザみたいなものね」
「一秒以内」
「と、それだけじゃなくて条件があるみたい。これは、正直わたしも分かってない」
「……わかりました」
「それと、戦略」
「それです」
「これはまあ、簡単には教えられないけど、ひとつわかったことがあるわ」
「それは」
「あなた、《自分だけで何とかしよう》って思わないことね」

たまおが絶句する。回線はまだつながっていたが、浅い息遣いだけが聞こえてくる。

「……ありがとうございます」

絞り出すような声。

「早乙女さん、無理しないで。それじゃ」

美香は自分から回線を切った。

「ちょっと、余計な事やりすぎたかな」

誰にも見られないところで、美香は舌を出した。