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《バーサス》にたまおとたくみ、それぞれがログインする。たまおの端末は《ホーネット》から借りたもの、たくみの端末は店舗に備え付けのもの。そしてジャッジ役として、凛もショウナンナンバーズ所有の端末を持ち込んでログインしている。

「よし、じゃあ約束通り、お前らの作ってきたマシン、どっちにするかを決めさせてもらう。コースは、このメトロポリタンハイウェイ、《サークル1》外回りだ」

メトロポリタンハイウェイ。トーキョーを中心として高密度に入り組む高速道路を再現したコースである。《バーサス》では、より広範囲に広がる周回路《サークル2》と、アップダウンと細かいコーナリングの連続する《サークル1》を再現している。

「勝負は一周。ハマサキバシ・ジャンクションから進入して外回り、もう一度ハマサキバシジャクションを抜けて、その先の直線がゴールだ」
「承知」
「わ、わかったやい!」
「じゃあ、お二人さん、マシンを見せてもらおうか」

アスファルトの路面と鉄骨の構造材。そのグラフィックにノイズが走り、カナガワ方面から2台のマシンが走ってくるのが見える。
低く、短く構えたノーズ部分。ガード部分まで回り込んだサイドポンツーン。そしてコクピットの両脇からせりあがったカウリングの後端には、小さな整流フィンが立つ。
ギャラリーのざわつきが、ネットワークを通じても広がっていく。

「なんだって?」

凛が思わず声をあげた。

「早乙女たまお、《デクロス・ワン》!」
「早乙女たくみ、《DCR-01》!」

同じボディをまとった二台のマシンが、スタート地点でゆっくりと止まった。
たまおのデクロスはローハイトタイヤ仕様。ガンメタルのボディにブルーのラインが走る。キャノピーは空力に配慮して閉じられ、ノーズからテールまで一体のラインを描いている。
たくみのデクロスはキット標準の大径ローハイト仕様。ボディはライトスモークのものに変更され、ワンポイントに配されたグリーンが映える。キャノピーは取り払われ、低重心化と冷却性能向上が図られている。

「たくみ、なんでマネしてきたの」
「たま姉こそなんでだよ!」
「なんでっ、アタイは、別に……」
「ボクだって、別にこれじゃなくてもよかったんだよ!」

揚げ足取りの口論が始まりかけた時、《バーサス》に新たなノイズが走った。

「まー、どうせこんなことになるんじゃねーかと思ってたよ。しょうがねー、ルール変更だ」
「藤沢さん!」
「ギャル子は審判だろ! 入ってくるなよ!」
「そーゆーわけにもいかねぇ。だって二人ともデクロスじゃあ、勝負する意味がないからな」
「……確かに」
「たま姉!」
「つーわけで、一周する間に俺のマシンを二人とも抜いたら認めてやるよ!」
「ふーん、どうせまた自慢のエボ子ちゃんが出てくるんだろ」
「果たして、どうかな」

ノイズの中から、一台のマシンが現れる。まず目立つのはオレンジの大径バレルタイヤ。シャーシはパープルのスーパー2。コンパクトなカウルはトップフォースのものだが、キャノピー部分は大きく切り取られ、そこには別のものが鎮座していた。

「ふ、フクロウ?」
「……意外……いや、納得」
「っつーわけで、このフクロウちゃんが相手をさせてもらうぜ」
《ホッホー》

フィギュア付きのミニ四駆が《バーサス》に読み取られると、システム音声はその姿に準じたものに代わる。フクロウはくるくると頭を回転させながら、デクロスの間を通って、一台ぶん前方に止まった。

「よし、じゃあ始めるぞ! スタート・ユア・モーター!」
《Copy.》
《ホッホー》

スクリーン上に、通常のサーキットと同様のスタートシグナルが現れ、すべてが赤く光った。

……《自分だけで何とかしよう》って思わないことね……

たまおの頭に、美香の言葉がよみがえる。

……もうさ、いい加減一人で決めてみろよ……

たくみの胸を、凛の言葉が締め付ける。

シグナル、ブラックアウト。デクロス2台の反応は遅れ、フクロウは派手なホイールスピンをしながら発進した。ハマサキバシ・ジャクションを左に折れて、《サークル1》に入る。

●ハマサキバシ~イチノハシ
先頭を走るフクロウのタイヤは大径バレルのハードタイプ。路面状況が決してよくない《サークル1》との相性は悪い。凛はそれを逆手にとって、ドリフト気味にコーナーを抜ける作戦をとった。直後にたまお、さらにさらにたくみが続くが、インに傾いてコーナリングするフクロウとの距離を縮められない。最初の勝負所、イチノハシ・ジャンクションの右コーナーでも、スライドしながら進むフクロウが先頭を譲らない。

●イチノハシ~タニマチ~ミヤケザカ
トンネルが続くセクション、道幅が狭くなり3台は一列で走行する。2台のデクロスは、加速、最高速ともフクロウを上回るポテンシャルがあるにも関わらず、コース特性から前に出ることができない。タニマチ・ジャクションを過ぎてから上り坂。ペースが鈍ったフクロウに、ローハイト仕様の加速力を活かしてたまおが並びかける。しかし前に出ようとした時に次のコーナーが現れ、フクロウがノーズを先に突っ込んでしまう。間隔が詰まり、たくみのデクロスが急ブレーキを強いられる。デクロス同士が軽く接触する間に、フクロウはリードを広げてゆく。

●ミヤケザカ~タケバシ~エドバシ
緩やかなコーナーが続くセクションに入り、たくみのデクロスがトップスピードにものを言わせてたまおの前に出る。路面のねじれ、うねりをしなやかにこなしながら、フクロウの背後につく。しかし、二車線道路の中央付近に陣取ったフクロウは、わずかの動きでたくみをけん制してみせる。ペースアップしようにも左右から迫る壁のプレッシャーが強く、車体を並べるにはいたらない。右に大きく曲がるエドバシ・ジャンクションの一車線区間でも前を抑えられ、残りは3キロ余りとなった。

「どうする、たま姉!」
たくみが叫ぶ。
「どうするって、アタイに聞かないでよ」
「そんなこと言ったって、今はそんな場合じゃないだろ!」

キョーバシまでの区間は一時的に三車線になる。パワーで勝るデクロスにとって、このセクションは唯一全開にできる場所である。たくみの動きを先読みして、フクロウがじわじわと左側に進路を変えていく。大きな下り坂、勢いをつけていきたいところだが、二台のデクロスは目立った動きをする気配がない。

「おーらっ、どうした! またイチからやり直してぇのか!」
「たま姉!」

たまおの頭に、凛の声とたくみの声が響き渡る。このチクチクした痛みに身を任せてしまえば、どんなに楽だろう。たとえ失敗したとしても、いくらでも言い訳はきく。
……誰かのためとか、自分がやらなきゃとか、そういうのから離れたら、本当の声が聞けるよ……
そうだ。ここで何かを変えなくちゃ、いつまでも同じ。
アタイは、物分かりのいい、物静かなお姉さんじゃない。流れに身を任せて、ゆったりと、マシンに任せて走り続けていたいんだ。

「た……たまお!」

たくみが叫んだ。

「たまお、ボク、先に行くから!」
「たくみ……」

そうか。変わろうとしていたのは、たくみも同じだったんだ。偶然、わずかな差で産声をあげるのが遅かっただけで、アタイに何もかも遠慮してきたのだろうか。アタイの言う事に逆らわず、元気な妹でいることが、たくみにとって生きていくすべだったのだろうか。

「たくみの好きにしな」
「たまね、た、たまお……」

勢いで解禁してしまった呼び方に、お互い戸惑う。

「アタイも、好きにするから」

壁際に追い込まれたたくみのデクロスが、グン、と一段強く加速する。

「おっ、来たな! いいぞ! やってみせろ!」

大径のホイール同士が接触し、火花が飛び散り、アスファルトで跳ねる。逆サイドから、たまおのデクロスも距離を詰めていく。三台のタイム差は一秒とない。横並びになったままキョーバシに差し掛かる。ここから先は再び二車線に狭まる。

「たまお!」
「任せた!」

ガンメタルの車体が後ろに下がり、たくみのデクロスとフクロウが並走する。一歩も譲ることのないバトルに、ネットワークのオーディエンスも沸騰する。

「会長、これ、どうなっゃうんでしょう?」
「《サークル1》のこの部分は、もともと川だったところを道路にしてる。この先二か所、橋脚が真ん中に立ってるところがあるわ」
「そこが、勝負どころってわけだな……くーっ、おっもしろいじゃん!」

奏のスマホの画面を、三人は押し合いながら見つめていた。画面スミに表示された残り距離の表示は、いよいよ2キロになろうとしている。

最初の橋脚が目前に迫る。逃げ場のない前の2台は、そのままの位置取りで突っ込む。

「このままじゃ、きつい方を通らされる!」
「大丈夫、そのまま行って!」

たまおはフクロウの背後について、わずかな隙を見出そうする。しかしストレートで勢いにのったフクロウの勢いは止まる気配がない。
橋の下をくぐる。トンネルよりも狭い、身動きできない瞬間が過ぎると、登りながらのタイトなコーナー。イン側のたくみは僅かなブレーキングを強いられ、フクロウと、たまおの先行を許してしまう。

「おーい、もう残りがねーぞー」

凛の声は、たまおの耳にも、たくみの耳にも届いていなかった。相手の出方をトリックでかわそうとしても、もう難しい。次の橋脚で、一気に前に出るしかない。言葉に出さなくとも、たまおとたくみ、二人が出した結論は、それぞれ好きなように走った末の答えは同じだった。

「いくよ、たくみ」
「わかった、たまお」

数十秒の間に、二人は冷静さを取り戻していた。それぞれ別のやり方を選んだはずなのに、結局同じことをしている。むしろ違う風にしようとすればするほど、同じ答えが見えてくる。
たくみの口元が緩んだ。楽しい、と思った。追い詰められているはずの瞬間を、楽しんでいる自分に気が付いた。すべてが心地よい、あたたかな感触に包まれていた。
たまおのデクロスが車線を変える。鋭い加速でフクロウに並び、たくみを引っ張る格好になる。二台のシルエットが重なった時、ボディに走る白いラインがまばゆい光を放った。

《ホホホホホー!》
「おい、コラッ、前を見ろ!」

フクロウが光に驚いて、ステアリング操作を誤る。その脇を、二台のデクロスがひとつながりになって加速していく。ガンメタルのボディとライトスモークのボディが、その中で溶け合うように、一つのマシンのように、加速と最高速のピークを迎えながら、ギンザの橋脚の下をくぐっていく。

「クロス、システム!!」

二人の声が重なり、《バーサス》に響く。そして二台のデクロスは、フクロウの前に立った。

「やられた、な」

凛がスピードを緩めさせる一方で、たまおとたくみはなおもサイド・バイ・サイドの状態を続けていた。すでに光は消えて、それぞれのマシンに戻っている。二台はコーナーを抜けるたび、そこから再加速するたびにバンパー一本の差を交換しながら、最後のセクションを突き進んでいく。
上り坂、加速に勝るたまおのデクロスが前に出たところで、ゴールが見えた。

「このままっ!」

たまおが、力強く声をあげる。

「させないよっ!」

たまおの声からは、いつしか焦りが消えていた。

二台はもつれるようにして、ゴールラインを通り過ぎた。