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碁盤の目のように縦横が直角に交わる路地を駅に向かうと、新幹線の高架が見えてくる。その下をくぐる細い道を抜けると、斜めに傾いたような建物が見えてきた。

「うわっ、ルナ、いいの? もうすぐそこまで来ちゃったけど」
「え? だって会長もあゆみちゃんも待ってるんだもん、早く行かなきゃ」
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」

小走りで、ルナは目的地である《クリオ・ベルノ》に向かう。

「どう考えたってワナじゃないのよ……ルナ、どうするの?」

志乃ぶは迷いながらも、離れていくルナの背中を追って走り出した。
正面入口の辺りには、開場まで二時間以上あるというのに人だかりができつつあった。ルナはそちらには向かわずに、関係者用の裏口へと歩を進めていく。

「え、ルナ、ホントに、どこいくの?」
「会長が、こっちから入れっていうから」
「そんなこと言ったって、うわっ!」

志乃ぶの視界に、サングラスにスーツの男ふたりが現れた。関係者用入り口の辺りに待機していたのだろう。その姿は、まるで物陰の暗がりそのものが立ち上がったかのようだった。だが、ルナは臆する様子もない。
立ち止まってしまった志乃ぶに聞かれないよう、ルナは男たちに耳打ちする。男たちは深く一礼したのち、また影に戻るかのように姿を消した。

「行きましょう、しーちゃん」
「うぇっ? あ、うん」

呼び方へのリアクションも忘れて、志乃ぶはルナに続いて建物に入った。
照明が抑えられた通路は狭く、足音がやけに響く。進んでいく先の突き当りに、うっすら光が漏れているドアがあった。近づくにつれて、慣れ親しんだ声も聞こえてくる。迷うことなく、ルナはそのドアノブに手をかけて一気に解き放った。

「ごめんなさい!」

部屋に入ると同時にルナは深く頭を下げた。
志乃ぶは部屋を見回す。まぎれもない、ライブハウスの楽屋。アーティストのブログで見ることはあるが、立ち入ったのは初めてだ。そこに、見知った顔のあゆみや奏がいることに、志乃ぶは強烈な違和感を覚えた。だがそれだけではなく初めて見る顔もいくつかあって、どうしてよいかわからずに志乃ぶは立ち尽くしていた。

「わ、私は別に、ルナが、あやしい奴らに狙われてて、心配だったから逃げようって言っただけで」
「しーちゃん」
「う……あ、ごめんなさい」

しぶしぶながら頭を下げた志乃ぶの背中に声がかかる。

「ま、誰だってそんなことはあるさ、いいんじゃない」

声の主は純子だった。志乃ぶは顔を上げた。そして驚きで声を失う。

「ルナ、あなた達が勝ったチームの、《V.A.R.》って……そっか、選手権のサイトに載ってたわ……うかつだった」
「しーちゃん、新町さんのこと知ってるの?」
「何て失礼な! だって、《ハッピーストライプ》の《ジャンヌ》さんでしょ?」
「わ、ありがとう」
「でも、なんで……? ちょっと、何が起こってるんだかわかんなくなっちゃった。今日はここで《チッカ・デル・ソル》のライブなんじゃ?」
「そうだよ。それは合ってる」

たくみの言葉にたまおが続く。

「で、そのゲストってことで呼ばれてたのが、話題のネット限定バンド《ハッピーストライプ》」
「川崎さんが、ルナ先輩を狙ってきたって勘違いした人たちは、《ジャンヌ》を迎えにきたスタッフさんだったんだよ」
「えっ……?!」

志乃ぶは膝から力を失い、その場に崩れ落ちた。床材の感触が膝に冷たい。

「まあ、スーツにサングラスって、私もちょっとびっくりしたけどね。でも《すーぱーあゆみんミニ四チーム》のみんなも時間があったら楽屋に案内していいか聞いたらオッケーだったからさ、許してあげて」
「そう……」

床に手をついて、志乃ぶは身体を起こす。それ以上の力は残っていない。

「ルナ、みんな、それに《ハッピーストライプ》の皆さん、ごめんなさい……。私は表の列に並んでくるわ……」

部屋を出ようと一歩踏み出した志乃ぶの手首を、純子はとっさに掴んだ。

「あなた、ミニ四駆やるんでしょ?」
「え?」
「わかるよ。そのバッグ。マシンが入ってるの、わかる」
「そ、それは、そうだけど、でも」
「平気だよ。《すーぱーあゆみんミニ四チーム》と戦ったチューナー同士、仲良くするのも悪くない」

志乃ぶは純子に向き直った。

「ありがとう、でも……」

口ごもる志乃ぶの脇をすり抜けて、ライブハウスのスタッフが楽屋に入ってきた。

「《ハッピーストライプ》の皆さん、《チッカ》さんがステージで最後に合わせたいってことなんで、お願いします」
「あ、はーい」

純子以外のメンバーが即座に立ち上がる。まだリハーサルの最中だという事に、志乃ぶは今更ながら気が付いた。

「よし、じゃあ行ってくるね! あ、みんなの分、関係者席をあけてくれるって言う話だから、涼川さんたち、それと川崎さんだっけ、本番のステージもみんな楽しんでってよ」

純子の思いがけない一言に、たまおとたくみを中心に驚きの声が上がった。ルナはその中で、ぼんやりとして熱いものが、自分の胸の中で揺れているのを感じていた。仕組まれたことと分かっていても、理解できない理不尽さがある。
笑顔にあふれる部屋の中で、ルナはひとり表情をかたくしていた。