氷室蘭は、セッティングを終えた《シャドウシャーク》を傍らに置いて、タブレットの画面に指を走らせていた。
パーテーションに囲われたピットでは、自らが率いるチーム《フロスト・ゼミナール》のメンバーが戦略の確認に追われているが、蘭がそれに加わることはない。リーダーである自分が過程の段階で加わることはしない。メンバーによって出された結論に対しての意見を伝えるだけ。それが蘭のポリシーであった。
「猪俣ルナ……か」
チームメンバーのプロフィールを開いて、蘭はほくそ笑む。
「《すーぱーあゆみんミニ四チーム》……瀬名が言ってたチームね。なるほど」
「失礼します、氷室先輩」
傍らから、蘭と同じ白衣をきたメンバーの声が飛ぶ。ウインドウは開いたまま、蘭はタブレットを置いた。
「何?」
「レースの戦略についての御意見をいただきたく」
「わかった、聞かせて」
蘭は腕を組み、足を組んで目を伏せる。その威圧感にメンバーは一瞬ひるむが、意を決してメモを読み上げる。相手チームに先行された場合、自チームが先行した場合、途中のアクシデントの有無など、作戦は複数パターンがレースの流れとともに変化する複雑なものであった。蘭は、読み上げる声が終わるまで一言も発さずに待っていた。
「……以上です」
「なるほど」
蘭は目を開いた。
「いかがでしょうか」
メンバーは恐る恐る聞く。
「ひとつだけ。3ストップの戦略。実に興味深い。でも、成立する?」
「……というと」
「全開で飛ばして一回ピットを増やす作戦だけど、それ、できるの?」
「あ……いや、我々のマシンの実力であれば、ピットインして後退しても、コース上で抜いていくのはたやすいかと」
蘭はしばらく動かない。意見を述べたメンバーからすると、一刻も早く終わってほしい時間が続く。
「どうだろう」
「は」
「どうだろう。大抵のコースであれば、私達の《シャドウシャーク》なら、それも可能だろう。だが、どうしても抜けないコースというのも《バーサス》にはあるものだ」
「そ、そうですか」
「そうだよ。わかってないな」
「すみません」
「まあ、いい。ログインすればコースもわかる。準備を始めようか」
「わかりました。ありがとうございます」
チームメンバーは素早く頭を下げて、その場を離れた。
「……邪魔が入ったな」
蘭は、スリープモードに入って画面が暗くなったタブレットを持ち上げた。姿勢変化を感知して、タブレットの画面が明るく変化する。そこにはまだ、ルナのプロフイールが表示されたままになっていた。
「果たして、また会うことはあるかな」