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「よけて!」
《Copy.》

ホームストレートの真ん中に、《マッドレイザー》から外れた部品が転がっている。《フェスタジョーヌ》はなんとか接触を避けたが、直撃していればリタイヤは必至だった。落ちていたのはリヤステーの一部か、ローラーか。ビスやナットではない、かなり大きい部品のように見える。

「どうなってる?」

あゆみが叫ぶ。

「先頭の《マッドレイザー》、ペースが落ちてる。 リヤステーが壊れて、ローラーが機能してないわ」

奏がコースの映像と各車のラップタイム、それぞれ表示されているモニターを見ながら状況を読み取る。

「チャンスだ、ルナ先輩!」
「先輩、お願いします」

たくみとたまおが祈るような声で言う。

「えっ……」

口には出さなかったが、ピットアウトした時点で、ルナは勝利をあきらめていた。ブロック内の順位を示すモニターを見てしまったことを、激しく後悔した。そして、ここまでやってきたことは間違っていなかったと思いながらも、どうやって自分を納得させようか、そんなことを考え始めていた。だが、それは現実から逃げていたに過ぎない。《フライング・フレイヤ》が、《V.A.R》がどんなレースをしていようと、今の自分たちには関係ない。このコースで、2位を走行している《フェスタジョーヌ》にしか、いま目の前にあらわれたチャンスを掴みにいくことはできない。それこそが事実なのだと理解し、震える手を握って、ルナは言った。

「わかりました。《フェスタジョーヌ》、フルアタック!」
《Copy.》

ゴールドの車体に鞭が入り、《フェスタジョーヌ》はタイヤをきしませながら前へと進んでいく。《マッドレイザー》はテールスライドしながらも止まることなくレースを続けているが、2台の差は10秒を切り、5秒を切り、残り2周で3秒台に突入した。

「勝負するなら、ファイナルラップの一コーナー……。そこしかありませんね」

コース終盤のストレートで差は2秒。最終コーナーのヘアピンへ、《マッドレイザー》と《フェスタジョーヌ》はひとつのマシンであるかのように進入する。

「《フェスタジョーヌ》! 今よ!」
《Copy. but Negative.》
「えっ?」

ホームストレートへ向けて加速を始めるポイントで、《フェスタジョーヌ》の車体が大きくスライドする。ここまでの追い上げで、タイヤのグリップ力が低下していたのだ。二度目のタイヤ交換以降、はげしく消耗しながらも路面に食らいついてはいたが、その限界があらわれはじめた。一方でトラブルに見舞われながらも終始タイヤを酷使せず、余裕を持った走行をつづけていた《マッドレイザー》は確実な加速でファイナルラップへ入っていく。マシン一台分の間隔をおいて、二台はホームストレートを駆け抜けていく。
スピードでは《フェスタジョーヌ》が上回っている。しかし、あきらもそれを理解して、レコードラインのさらに内側へマシンを寄せていく。ルナは、外側へラインを変える。だが、それでは抜けないことは自覚していた。

「どうしたら……!」

二台は並んで一コーナーへ進入する。フルブレーキングの白煙が双方から舞い上がるが、スピンすることなく《マッドレイザー》がイン側を守る。《フェスタジョーヌ》は外から並びかけるが、コース上に行き場をなくしてハードなブレーキングを余儀なくされる。
コーナーからの脱出でリヤを大きくスライドさせながら《マッドレイザー》は《フェスタジョーヌ》の進路をふさぐ。右回りの一コーナーから切り替えしての左回り、二コーナーでも順位は変わらない。ここから先は、低速コーナーが続くセクション、抜きどころは無いと言ってよい。

「もう……」

ルナが顔を伏せる。しかし、インカムを通じて声が聞こえた。

「ルナちゃん、まだチャンスはある!」
「猪俣さん、冷静になって!」
「ルナ先輩、《あれ》を使うんだ!」
「《Z-TEC》。ルナ先輩なら、大丈夫です」

でも……と言いかけた時、聞こえるはずのない、だが聞きなじんだ声が耳元で語りかけた。
世界をかける歌姫ではない、同じ気高い血を分けた姉と、二人だけになったわずかな時間、その記憶が呼び覚まされる。
……好きなことができたんなら、とことんやってみればいいさ。でも、忘れるなよ。お前ひとりでやってるんじゃないってことを。大事なことは……

「そう、大事なことは……」

二コーナーを立ち上がって、二台は完全にテール・トゥ・ノーズの状態となった。《マッドレイザー》の速度は大きく落ち込んでいたが、レコードラインを外さない走りで踏みとどまっている。既に差は一秒を切っていた。

「私が欲しいものは、私が守りたいものは!」

紅潮していく頬に同調するかのように、システムが新たなモードの準備に入る。《フェスタジョーヌ》の周囲に、ほのかな光が集まり始めた。

「たまおちゃん、たくみちゃん、会長、そして、あゆみちゃん! このチームにいるということ! このチームで走り続けるということ! だから、まだ、ここで終わるわけにはいかないの! 《Z-TEC》、スタンバイ!」
《Copy. Z-TEC Activates》

瞬間、光のゲートをくぐるかのように金色のボディが一際輝くと、《フェスタジョーヌ》の車体はブラックに姿を変えた。うっすら透き通った表面に、深みを持ったゴールドのラインが走る。

「あれは!」

奏が声を上げる。

「会長、知ってるの?」
「ええ、話には聞いていたけど、見るのは初めて。《バーサス》に選ばれた、ごくわずかなマシンだけが持っている、進化した姿。あれは、ブラック・スペシャル」
「ブラック・スペシャル!」

奏の言葉を聞きながら、、あゆみはただ、こぶしを握り、戦況を見つめることしかできなかった。
チームメイトの動揺に惑わされることなく、ルナは両手を広げる。

……ふり仰ぐ 遠き御空(みそら)に 思い馳せ
……うち降りたもれ 黄金(こがね)の雨!
……いま、すべてを解き放て!
プリュイ・ドール!!

光があふれる中心に、空間が切り取られたかのように暗く、黒いシルエットが浮かんでいる。それは、まるで月蝕を思わせる、厳かな光景であった。
コース半ばにある、わずかなストレート。通常であれば抜きどころになりえない地点で、《フェスタジョーヌ》は加速する。限界を超えた加速が風を起こし、コース上に溜まった塵が舞い上がる。塵は《Z-TEC》の光を浴びて、金色の雨のように降り注ぐ。

「さあ、行きましょう」

ルナのささやきに反応して、《フェスタジョーヌ》は《マッドレイザー》の背後につく。しかし、あきらは抜かれまいと、片側の車輪をダートに落として進路をふさぐ。フェアとはいいがたいラフプレーだが、構ってはいられなかった。

「岡田さん、ごめんなさい」

《フェスタジョーヌ》はさらにその外側、四輪をダートに落とす。だが《ブラック・スペシャル》と化したマシンのスピードは、荒れたダートの上でも落ちない。並ぶ間もなく前に出ると、何事もなかったかのようにコースに復帰する。《マッドレイザー》は逆に、リヤセクションのダメージを深くしてしまった。走ることはできても、《フェスタジョーヌ》に付いていくことはできない。
勝負は、一瞬で決着した。