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「そういえば、おじい様」
「なんじゃ、もったいつけて。ジジイでええわい」
「ん……それじゃ、じっちゃん。ヤムラで、あたしのパパと、一緒にはたらいてたんですか?」
「まあな。直接の上司部下だったのは最後の何年かだけだかな。それでもよく覚えておる。」
「そうなんですね……」

この数か月で耳にした、父親についての言葉があゆみの脳裏によみがえる。

「あの、知ってたら教えてください。パパが関わっていた、ヤムラのハイパーカーのこと。なにか問題があって、発売中止になったっていうクルマのこと」
「なんじゃ、そんなマスコミの作った都市伝説を信じておるのか? もう少し、本当とそうでないことを知った方がいいわい」

光一郎はステアリングを握り、正面を見たまま言った。あゆみはこぶしを握り締めて、言葉をつづけた。

「チッカ・デル・ソル、いえ、セルジナ公国の第二皇女の方に、ナゴヤで偶然会いました。その方から、さっきの話を聞いたんです。ネットとか雑誌の情報じゃありません」

光一郎は黙ったまま、アクセルペダルに足を載せている。

「それに、瀬名さんも、私のパパの事を知っているみたいで、知らないのはあたしだけみたいで、誰に聞いたらいいのかわからなくて……」
「瀬名! 瀬名と言ったか!」

タコメーターが瞬間、ぴくりと揺れる。加速の衝撃で、奏が妙な声を上げるが、体の向きを変えて、また寝てしまう。

「はい。ミニ四駆選手権、ディフェンディングチャンピオンの名前です。瀬名さん……瀬名、アイリーン」
「アイリーン……。涼川の娘と、瀬名の娘がミニ四駆で……。そうか……運命は残酷だな……。」
「やっぱり、そうなんですね。ヤムラの、ハイパーカー、パパがかかわったマシンは、存在するんですね」

あゆみは、光一郎を見据えた。背後から伝わってくる排気音と、ノーズが風を切る音が、しばらくの間キャビンを支配した。

「……ああ、そうだ。このZ1も、もともとは、あのマシンの参考にするためにコレクターから譲ってもらったものだ」
「聞かせてもらいたいです。パパ……、いえ、涼川みのるが携わった、ハイパーカーのこと」

しばらく間が空いて、光一郎は口を開いた。

「あれからもう、七年になるか。世界的な不況のあおりでグランプリから撤退したヤムラは、自分たちの存在意義が何なのかを考えた。長く、不毛な議論が続いたが、やはりレースで戦うことが、ヤムラという会社が存在する理由だという結論になった。
その第一段階として、《世界のレースで通用する、クルマをつくること》という目標を設定したんじゃ。当時考えうる最高のメカニズムを、最高のスタイリングに詰め込む。そして、グランプリカーに匹敵するラップタイムをサーキットでたたき出す。今考えると、夢物語でしかなかったんじゃがな」
「いえ……わかります。クルマって……そういうものですから」

あゆみは、膝の上で合わせた手のひらをぎゅっと握り締めた。

「ワシはすでにヤムラを退職、《無我》の国内レース活動で手いっぱいじゃった。だが、エアロパーツの監修をお願いしたいとヤムラ本社から人が来てな。、毎日朝晩やってくるわ、余りにも熱く語るわ、動きが大きいわで、まあ根負けしたわい」
「それが……ひょっとして、あたしのパパ、ですか」
「そうじゃな。涼川みのる。思い出してみれば、何か突出した技術や資格があるわけじゃあない。何かの分野のスペシャリストというのとも違う。だがセンスというか、クルマ全体を見渡して、何が足りないのかを見極めるチカラは、他の若い連中に比べて段違いじゃった。
わしは涼川に導かれるまま、ハイパーカー計画にアドバイザーとして加わった。その時、すでにクルマには計画のコードネームを兼ねた、ある名前がついていたんじゃ」
「名前、ですか?」
「そう。グランプリカーや外国のハイパーカーをこの世で一番早いもの、光……その力を象徴する《雷》に見立て、それらを一刀両断する鋭さを持ったクルマという期待を込めて、わしらは《ライキリ》と呼んでいた」
「雷を、切る……《ライキリ》」

ふいに、エアロサンダーショットの姿があゆみの脳裏に浮かんだ。その前に立ちはだかる、漆黒のGTカー。見せつけるかのように光るテールライトが、コーナーを抜けるたびに遠ざかっていく。

「ミニ四駆で、その名前のマシンがあります」
「知っとるよ。あれが、ヤムラが封印したハイパーカーの姿そのものじゃからな。デザインとクルマの名前を売って、少しでも穴埋めをしようとした結果よ」「えっ……」

握った手が思わず離れる。父親がかかわったとされるハイパーカーと、いま自分が真っただ中にあるミニ四駆が、いきなりつながった。あゆみは言葉を失った。

「プロジェクトリーダーに就いた涼川が《ライキリ》の目標として掲げたのは、鈴鹿サーキットをグランプリカーの一五〇パーセント以下のラップで走行すること。
それを達成するために、ワシらは議論と試作、走行テストを繰り返した。結果として《ライキリ》は確かに最高のハイパーカーに仕上がった。だがその性能は、人間に操れる限界ギリギリ、あるいは、わずかに超えるかも知れないところにまで至ったんじゃ」
「人間の限界を……超える……」
「その限界を超えずに、ラップレコードを更新する。そのために、ヤムラでも指折りのテストドライバーを選んだ。レーシングドライバーとしての活動は色々あってうまくいかなかったが、職人気質の男がひとりおった。その男こそ、瀬名、トージロー」
「せ、瀬名⁉」
「そう。アイリーンちゃんの父親じゃ」