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光一郎が運転するマケラレーンZ1は、高速道路の注目を一身に浴びながら、すでにナゴヤを通過していた。

「パパのハイパーカーの、テストドライバーが、瀬名さんのお父さん……」
「嬢ちゃんから瀬名の名を聞いて、ワシも驚いた。じゃが、まあ当然っちゃあ当然なのかも知れんな」

光一郎は深くため息をつく。そして革巻きのステアリングを改めて握りなおした。

「それで……《ライキリ》のテストはどうなったんですか?」
「うむ……。まあ、結論としては失敗じゃった」
「失敗? どういうことですか?」
「《ライキリ》は、有り余るパワーを適切にコントロールするために、車体全体をコンピューターによって制御する方向で開発がすすめられた。ステアリングやペダルの操作、あるいは顔の向きの変化までモニタリングしてドライバーの意図をくみ取り、パワーユニット、足回り、さらにはエアロまでが自動的に最適な姿勢を作り出す。そのシステムを搭載して《ライキリ》は完成した」
「じゃあ、鈴鹿のタイムアタック……ん? 鈴鹿サーキットで、タイムアタック……なんだろ、なんかそういうの聞いたことがあるような? ん?」

腕組みするあゆみを一瞥して、光一郎は、わずかにアクセルを踏み込む。右側にウインカーを出し、Z1は追越車線に入った。

「鈴鹿でのタイムアタックは順調に進んでいた。走り始めで、目標のラップまで一秒以内にまで詰めていて、誰もが自分たちがやってきたことが正しかったと思っていた。じゃが、それは錯覚だった」
「えっ……」
「レコード更新のためにセッティングを変更した二周目、コンピューターのコントロールが突然、落ちた。《ライキリ》は一三〇Rでコースアウト、エアロの制御が失われたマシンはサンドトラップで減速しきれずに、タイヤバリアに突っ込んだ」
「一三〇Rって、あのグランプリ屈指の高速コーナーで……ドライバーは、瀬名さんはどうなったんですか?」
「サーキットのスタッフも、ワシらも最善は尽くしたが、瀬名は」

ぶえっくしょおおぉぉおい!

不意に奏が爆発のようなクシャミを放つ。光一郎の言葉はその声にかき消されて、聞き取れない。

「……のちを失ってしまった」
「えっ?」

奏はクシャミで起きることもなく、ふたたびバケットシートに体を預けて寝始めた。

(『のちを失った』……いま、じっちゃんは、何を失ったって言ったの?)

「その事故を重く見たヤムラ上層部は、その日の夜には《ライキリ》計画の全面凍結を決定、ワシは《無我》に戻った。涼川は《ライキリ》の最終的な解析と、市販車へのフィードバック作業をつづけた。そして数年後に海外にわたり、グランプリ復帰に向けた作業を進めることになった」
「えっ、じゃあ瀬名さんは」
「瀬名は……さっき言った通りじゃ。もうサーキットを走ることはない」

あゆみは息をのんだ。瀬名トージローは、サーキットを走ることはない。それはつまり、失ったものが大きいという事だ。
そう思いたくはなかったが、そう思う他なかった。涼川みのるがつくったハイパーカーで、瀬名トージローは《「い」のち》を失った。そう考えれば、今まで起きたことに全て説明がつく。

「そして……」

ため息とともに、光一郎は言った。

「涼川も瀬名も、鈴鹿サーキットに、一人娘を連れてきていた」
「えっ、それってあたしと……じゃあ、あたしと瀬名さんって、やっぱり、一度、会ってるってことですか?」
「まあ、七年前じゃから、覚えちゃいないだろう。あの時のワシらの慌てぶりは、そう、忘れまった方がいい」
「瀬名さん……」
「その二人が、ミニ四駆っちゅうモータースポーツであっても、サーキットで向かい合うってのは、ワシからすると、運命の皮肉としか言いようがないわい」
「いえ……」

あゆみは前を向く。整備された高速道路を、マケラレーンZ1は順調に進んでいる。日はやや傾き、背後からは西日がわずかに差し込んでくる。

「あたしが……あたしたちが、好きで、やりたくて始めたことですから。お互いの父親の事は、私たちのレースには関係ありません」
「嬢ちゃん……」
「今は、年明けの決勝大会、二十四時間耐久レースに向けて頑張るだけです」
「そうか、……わかった。ワシから伝えることはもう何もない。頑張れよ」
「はい」

答えるあゆみの目に、普段の力はなかった。