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赤井選手が選択したサーキットは、ポルトガルのクラシックコースである《エストリルサーキット》だった。

全長千メートルに迫るホームストレート、大小さまざまなコーナーがバランスよく配されたレイアウトはマシンの総合力が問われる。一方で近代的なグランプリコースに比べるとランオフエリアが小さく、狭い。そのためコースアウトしてしまうと即タイヤバリアの餌食となり、レースへの復帰は難しい。限界を超えず、いかにして最大限のスピードを保つことができるか、が勝負の分かれ目となる。
レース距離はグランプリレースの半分にあたる百五十キロ、三十七周に設定された。
赤井選手と恩田選手は、NPC(ノンプレイヤーキャラクター)二十二台を含む二十四台が出走するグリッドの最後列からスタート。相手より上位のポジションでゴールした側が勝者ということになった。

「秀美のマシン……FM?」

ダミーグリッドについた深紅のマシン。ボディの中央部に細長いキャノピーが走り、それを核としたフレームがFM-Aシャーシを背骨のように支えている。その上に、空力効果を考慮したカウルが重なり合うように配置され、猛禽類を思わせる鋭いフォルムを形成している。

「そう、これが私のニューマシン、マッハフレームよ」
「秀美……」

声が上ずるが、奏の呼びかけを断ち切るように秀美が言う。

「勘違いしないで。これは、このレースで勝つために、用意したのよ」

奏に応える間を与えず、フォーメーションラップのスタートを告げるサイレンが響く。NPCの車両からグリッドを離れ、最後にマッハフレーム、そしてエアロアバンテがゆっくりと隊列に続いていく。
終盤までは自由にレースを進め、残り三周で秀美が故意にスピン、奏と順位を入れ替えてゴールするというのが事前の取り決めだった。直接のバトルは避ける。あくまでエキシビジョンマッチだと。
本当にうまくいくのだろうか。不安を捨てられない奏をよそに、フォーメーションラップは終わり、レッドシグナルが点灯した。

『シグナル、オールレッド! そして、ブラックアウト!』

アナウンスととともに、すべてのマシンが走りだす。マッハフレームはFMマシンらしいスムーズな出足。一方でエアロアバンテのリヤホイールは空転し、白煙が上がる。一コーナーまでのストレート、NPCのマシン同士が接触してストレートをふさぐ。マッハフレームとエアロアバンテは左右に散ってクラッシュを回避、一コーナーをターンしていった。

秀美はオープニングラップを十七位で終えると、ホームストレート、バックストレートで次々NPCのマシンをかわしていく。フロントに重心が偏るFMAシャーシは、急激なブレーキング時の安定性に優れる。他車よりも深いブレーキングポイントでイン側を奪い、絶妙なテールスライドで進路をふさぐ。絵にかいたようなオーバーテイクショーに、マラネロ女学院の生徒は沸き立つ。
奏のエアロアバンテもそのペースに追いすがるが、タイム差はじりじりと開いていく。

「食いついていかないと……」

奏は歯を食いしばるが、局面を打開する方法は見いだせない。余りにも秀美との差が開いてしまっては、シナリオの不自然さが際立つばかりだ。奏はタイヤに負担をかけないことに注意しながら、一台一台と丁寧にオーバーテイクしていく。
五周を消化したところで、秀美は十二位、奏は十五位。その後方、最後尾を走っていたNPCのマシンがピットに滑り込む。

「ん……どういうことだ」

百五十キロのレース、タイヤは無理に交換する必要ないというのがセオリーである。人間が戦略に携わっていないマシンが、それから外れた動きをすることは現実的にあり得ない。秀美と奏は、自身のレースを進めながらも、ピットロードを進むマシンに注目していた。

「うわっと!」

誰の者とも知れない声が、《バーサス》のシステムを通じて体育館に響き渡る。

「誰?」
「なんだ? 誰かが乱入したのか?」

二人の呼びかけに答える声はない。一方でピットインしたマシンは、急ブレーキをかけてその場に止まった。舞い上がる白煙を押しのけるようにして、マシンはバックしてピットに収まる。

「何なんだ、一体……」

ピットでマシンを後退させることは、重大な事故につながるため、実車でも《バーサス》でも禁止されている。その禁忌をおかす挙動に、あゆみは思わずステージに飛び出してスクリーンを見上げた。

「しゅーみー、なんだかお楽しみみたいだねぇ?」

得体の知れぬ声と共に、ピットに収まったマシンはまるで脱皮するかのように変化し、マッスルカーのようなメタリックブルーのボディをまとっていた。