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氷室選手が選択したサーキットは、メキシコのクラシックコースである《エルマノス・ロドリゲスサーキット》だった。
標高二五〇〇メートルの高地に位置するサーキットは空気の密度が低いため、パワーユニットの出力や空力効果が他のサーキットとは異なる特性を示す。そのため、マシンセッティングが非常に難しい。
コースレイアウトは、全長千メートルを超えるホームストレートと高速コーナーを中心に構成されている。最大の勝負所はホームストレートの手前、急角度のバンクを備えた大回りの最終コーナーである。近年の改修では低速のインフィールドに変更されているが、氷室選手は以前のグランプリで使用されていたレイアウトを選択した。
また路面は荒れた部分が多く、タイヤの摩耗は他のサーキットに比べて著しく早い。タイヤマネジメントがレースを進める上での重要なファクターとなる。
レース距離はグランプリレースの半分にあたる百五十キロ、三十五周に設定。出走する五人は、ノンプレイヤーキャラクター(NPC)を含めて二十六台が出走するグリッドの、最後方からスタートすることとなった。
ブレイヤーの中では最前列となる二十二番グリッドに小田原選手がつく。二十三番グリッドは恩田選手、その隣に《フロスト・ゼミナール》の新志選手。最後列の二十五番グリッドに赤井選手がつき、氷室選手がしんがりという隊列に決まった。
全てのマシンの準備が整うと、自動的にフォーメーションラップが始まっていく。

「《フロスト・ゼミナール》のマシンはシャドウシャーク……変わらないな」

秀美がつぶやく。無線は全員で共有しているため、蘭の耳にも届いていた。

「シンプルで、素性のいいマシンだからな。新しいものが必ずしもいいとは限らない」
「そうですけど……!」

ゆのが思わず反応する。急ごしらえのマシンではあったが、秀美仕込みのセッティングが随所に活きていた。
奏は淡々とマシンを左右に振り、タイヤに熱を入れていく。モニターには、マッハフレームのコンパクトなテールが見える。今度こそは、情けない真似はできない。奏は握った手に力をこめた。
二十六台のマシンが所定の位置に着くと、シグナルに赤い光が灯る。五つ揃ってから、ブラックアウト。レースが始まった。

「ジオグライダー、蹴りだしがいい!」

あゆみが叫ぶ。白いマシンは素早い反応を見せ、大径バレルタイヤながらも鋭い加速で前車をオーバーテイク。秀美も抜群のスタートで久美子の前へ出る。

「会長はまずまず……。氷室さんは少し遅れ加減でしょうか?」

ルナの指摘通り、蘭のスタートは極めて慎重なものだった。直前の奏に比較するとその差は明らかで、一コーナーが近づくにつれて大きなものになっていく。

「なーんだ、プロフェッサーってったって大したことないじゃん」
「待って、まだわからない」

たくみを制したたまおは、マシンの隊列を注視した。上位グリッドからスタートしたNPCのマシンに性能差は無く、ホームストレートの終わりに達しても密集した状態が続いている。そして迎えた、鋭角な一コーナー。マシンが殺到して大渋滞となる。

「きゃあっ!」

ジオグライダーがフルブレーキング。フロントモーターで荷重のかかる前輪へさらに負担がかかり、タイヤから白煙が湧き上がる。前方では接触したマシンもあり、コースは完全にふさがれている。蘭はゆっくりと減速し、奏の背後につく。タイヤへの負担は極めて少ない。

「げっ、そういうことか……」

たくみが苦い表情を見せた。蘭のシャドウシャークは、エアロアバンテに引っ張られるようにしてコーナーを抜けていく。奏は、奥歯を噛んだ。