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「あ、赤井さん」
「お」

グリッドのちょうど真ん中、Eブロック一位のところで、秀美は不意に声をかけられた。自身と対照的な、透き通るように白いシルエットが視界の片隅からあらわれる。

「羽根木さん」
「涼川さんたちも。お久しぶりね」

傍らでたたずむジルボルフのボンネットには、誇らしげな神獣《フェンリル》のイラストレーションが刻まれている。

「赤井さんが予選からいたら、この場所はあなたたちのものだったかもね」
「そんなことはない」

静かに挑発的なことを語る美香に、秀美は強い口調でこたえる。

「冗談よ。まあお互い悔いのないようにね」
「ああ。接近戦になったら、クリーンに頼むよ」
「もちろん」

それじゃあ、と秀美が言いかけた時、前方から何かが突進してくるのに気付いた。秀美は、一直線に向かってくるそれを、すんでのところでかわした。あゆみと奏は飛び上がるようにのけぞっていた。

「しゅーみー、会いたかったよ~」

振り返りながら、万代尚子はセルフレームの眼鏡をなおす。

「万代さん……!」

奏が、その姿を見て身体をこわばらせる。

「あれっ、アンタ、こないだ秀美とやってたエアロアバンテのコか」
「まあ、そうですけど」
「あん時はごめんねー。カッとなったら止められないっていうかさー、どうにかなっちゃうのよ。アンタがインを開けてくれたと思ったからさ。悪かったな」
「今さら謝られても、うれしくもなんともないですよ……」
「そうねー。そうだよねー」

あくまで奏をおちょくった態度に、奏の肌が次第に紅潮し始める。見かねて秀美が尚子の方に手を当てる。

「そんぐらいにしといてくれ。あのレースの事をとやかく言うつもりはない」
「ふーん、そっかー。ありがとねー。」

尚子は、曇りのない満面の笑みを見せる。奏は、その笑顔の裏にある、危険なものの気配を感じて小さく震えた。

「なんだか楽しそうだな」

サーキットに似合わない、実験用の白衣をまとった少女が話の輪に入り込んでくる。

「氷室さん!」

不意をつかれて奏が素っ頓狂な声を出す。

「万代、あまり恩田さんを見くびっていると痛い目にあうぞ」
「いや、あの、そんな……」

今度は急に持ち上げられ、奏は口ごもる。秀美は、それが本心からでないことを感じ取り眉根をひそめる。

「この間の追い上げは見事だった。ただ、マシンのポテンシャルは、あれでおおよそ理解できた。万一、競り合うようなことになったら、集めたデータを活用させてもらうよ」
「あ、ああ……」

あっという間の手のひら返しに、奏は返す言葉もなく立ち尽くす。そうしていると、上位ランカーがグリッド上で談笑している姿を見つけられ、主催者のカメラとレポーターが近づいてくる。さっそく、無遠慮に美香へマイクが向けられ、心底迷惑そうな受け答えが始まっていた。

「さて、あとは」

秀美はあたりを見回した。

「あれ? 涼川さん?」

奏も人と人の隙間からあゆみを探すが見当たらない。

「それでは、特別枠でカナガワエリア代表チームに加わっている、赤井選手にお話を伺いましょう」

秀美にマイクが向けられた。口を開く直前、奏に目で合図して、あゆみを探すように伝えた、つもりだったが奏は気づかず、インタビューの順番が次に回ってくるものと思い込んで、がくがくと脚を震わせていた。