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スタートシグナルの真下で、《ライキリ》は静かにスタートの時を待っていた。ジャパニーズ・スポーツカーの手法を守りながら、丸みとエッジが調和したデザインは、その名の通り鋭利な日本刀の姿を思わせる。実車ではなく《バーサス》内で再現されたデータではあったが、確かに漆黒の車体はグリッド最前列に並んでいた。
あゆみはあたりを見回す。招待された一般ユーザーの注目は、やはり《ガディスピード》の二台に集まっているため、マシンの周りには二重、三重の人垣ができている。あゆみはかき分けるようにして前へ進む。わずかに開けた視界に、アイリーンのブルーの帽子が見えた。

「瀬名さん!」

叫ぶが、人波にさえぎられて届かない。アイリーンは《ライキリ》の傍らで、チームメンバーと話している。手にしたタブレットとマシンを交互に見ながら、最終的な作戦を決めているようだった。
スタート時刻が近いことを知らせる、甲高いサイレンが鳴った。それを合図にして、レース参加者以外は次々と強制的にログオフさせられていく。立ち去るのではなく、瞬時に消えるように、人影が次々と消えていく。

「瀬名さん!」

目が合う。レースに集中している、鋭利なまなざしである。一瞬顔を伏せてから、あゆみに近づく。すでに一般ユーザーの姿は周りになく、二人のあいだにさえぎるものはなかった。

「何? もう、レース始まるよ」
「あの、私、聞きたいことがあって」

あゆみは口ごもる。言おうと思っていたこと、確かめたいと思っていたことがたくさんあったはずなのに、いざアイリーンを目の前にすると、すべて吹き飛んでしまう。肩越しに、《ライキリ》のボディが見える。吊り上がったヘッドライトが、強い眼力であゆみを追い返そうとしているように見えた。

二人の間に言葉がないまま、再びサイレンがなった。

「涼川さーん、もう戻らないと、始まるよー」

奏の呼ぶ声が響く。

「ほら、呼んでるよ」

アイリーンがうながす。それでも、言葉は出てこない。意を決して、あゆみは言った。

「12時間たったら、いったんみんなログアウトするでしょ? その時……話をしたいの。いい?」

力をこめて顔を上げ、アイリーンを正面から見据えて言った。それが限界だった。

「……わかった」
「瀬名さん」
「けど、追いついてきなよ。後ろをノロノロ走ってるようだったら、私はあなたと話すつもりはない」
「ありがとう!」

あゆみは言い残して、グリッド最後列に向けて走っていった。先頭からは実に遠い。《バーサス》が作り出した仮想空間だと分かっていても、たどり着くのは一苦労である。ピットウォールを飛び越えるようにして、あゆみはホームストレートから退去する。予選ラウンドと同じように、ピットウォールにはマシンの状態を確認し、作戦を伝えるためのコンソールが作られている。

「ごめん、会長」
「いいけど、何話してたの、瀬名さんと」

あゆみは、不意を突かれたように身を固くする。

「ごめん、余計な事聞いたわね。さ、レースに集中しましょう」
「すみません」

席につく。インカムのマイクを引き寄せる。

「ルナちゃん、たまおちゃん、たくみちゃん、そして、エンプレス。準備はいい?」
「もちろんです!」
「問題なし」
「いつでもいいよ」
「大丈夫だ」

それぞれの、自信に満ちた声が聞こえてくる。

「会長も、いいですか」
「ええ。ここまでこれて、本当にうれしいけど、これだけで終わっちゃもったいないから。ね、涼川さん」

緊張をほぐそうというのか、いつもより弾んで聞こえる奏の声が、あゆみにはありがたかった。

「うん! 私たち《すーぱーあゆみんミニ四チーム》の冒険、その結晶を見せつけよう!」

呼びかけると同時に、フォーメーションラップのスタートを知らせるサイレンがなった。そしてエアロサンダーショットとエアロアバンテは、静かにグリッドを離れた。